この一週間、ネット界隈で話題になっていたのがインプレスから出版されたWeb3に関する書籍に多くの間違いが含まれていたという事件です。
「いちばんやさしいWeb3の教本 人気講師が教えるNFT、DAO、DeFiが織りなす新世界」の回収について | インプレスブックス
Web3とは、これまでウェブの技術が段階的に大きく進歩してきた過去を踏まえ、Web 2.0の時代の次にやってくると期待されている時代を指す言葉で、技術的には分散化やブロックチェーン技術を応用することで実現するといわれています。注意すべきなのは、Web3なるものがすでに実現しているわけでもなければ、Web3がウェブの未来だと決まっているわけでもない点です。それはあくまで、萌芽的な段階にある技術の潮流に対して与えられた呼称でしかありません。
騒ぎになった書籍は、Web3の将来性を過大に評価するあまりに過去のウェブの発展についての記述に膨大な過誤が入ってしまっていることで炎上しましたが、本書を取り寄せて読んでみたところ、Web3の記述においても事実と著者の希望がないまぜになっている傾向があるためにバランスに欠けているように見受けられました。
こうして騒ぎになってしまい、最終的には回収という最悪の事態を迎えてしまったこの本ですが、もちろんこれは非常に例外的な出来事です。
というわけで今回は「普通ならばどのように本は作られているのか」の舞台裏について、あくまで私の経験した話に限定して、差支えのない範囲でご紹介したいと思います。
表計算からGoogle Documentへ
デバイス、ウェブサービス、SNSに関する書籍について、私はこれまでインプレス社、技術評論社、講談社を含むいくつかの出版社の本に携わってきましたが、多くの場合これらは編集者のほうからもちかけられて企画が始まっています。
編集者にはたいてい「こうした本が作りたい」「こうした本にニーズがある」というビジョンがありますので、オファーを受けた著者がそれを咀嚼して、こういう内容なら書けそうですとキャッチボールをする形が多い印象です。
このあたりがビジネス書とは逆で、ビジネス書は章立てや構成は著者が考えて、それを編集者がブラシアップして再提案するといった形式の方が多い傾向があります。
テック系の書籍は作ってみるとわかりますが、一筆書きの絵を書くのに似ています。前節で書かれた内容に基づいて次の節などが発展的に書かれますので、話題をどのように分節化して説明してゆくかが大切です。
たとえばiPhoneのカメラの使い方の説明をしていないのに、写真をメールに添付する話がでてきたら読者は困ってしまいます。どのように書かれているとわかりやすく、かつ退屈ではないかといったところに注意を払って構成案が表計算でつくられます。
編集者に作られる書籍に対する強いビジョンがある場合には、この構成案が最初からできあがっていて、著者は構成にコメントしつつ執筆する部分を選んでゆくだけという場合もあります。編集者と著者の間に「この人はここが書ける」といった信頼があときですね。
面白いのは共著者がいる場合です。複数の著者が別々の場所を担当しても相互に矛盾や説明の繰返しといったものがないように、連続した項目は同じ著者が担当したり、得意分野で棲み分けをしたりします。
最初やったときには互いの内容が被ったり、互いに逆のことを言ったりしないか不安だったのですが、共著者をよく知っていると意外に阿吽の呼吸でなんとかなるものです。本がもっている基本的な哲学をミーティングのときにすり合わせておけば、あとは数人で同時に書いても構図はさほど歪まないのです。
こうして複数の著者の原稿が競うようにしてGoogle DocumentやDropbox のなかに溜まっていきます。
意外にたいへんな図版作業
技術書の場合、字の文章と同じくらい作業量が多く大変なのが図版を揃えるタスクです。最新のアプリでスクリーンショットをとったり、個人情報がみえないように細工したアカウントでダミーのコンテンツをつくったりといったように、1枚あたりの作業はなかなか馬鹿になりません。
ちょっとしたイラストについても「このように図版化してほしい」というデッサンを描いて手渡します。
自分はグラフィックデザインの専門家ではないので「こうした情報を含む形できれいに作ってもらえないか」とお願いするものの、だいたいにおいては渡したスケッチそのままの構成で返ってきます。つらい。
この段階ではたいてい締切が迫っていますので、1枚の図版あたりに使える時間も30分程度しかありません。上手な図版の作り手と二人三脚の仕事、いつかしてみたいものですね…。
クオリティをいつ上げるのか
さて、今回の炎上では書籍に含まれている基本的な事実の間違いが指摘されましたが、こうした間違いの混入はどのようにして防ぐのでしょうか?
著者はもちろん、自分が書いた部分に対して全面的な責任があります。アプリやウェブサービスのように見た目を記述し、その意味について書けばいい場合はまだしも楽ですが、技術の歴史や背景といった点について書く場合はそれなりに調べなくてはいけません。
たった一行、「○○は2010年代にポピュラーになった…」と書くためだけに、複数の書籍やブログといった資料をひっくり返して本当に日付が間違っていないか、前後関係が間違っていないか、物事の捉え方に歪みがないかをチェックします。
こうしたチェックはたいてい原稿の尖った部分を削ぎ落とし、大げさにいうとつまらない、平均的なものに変えてしまいます。極論は削除され、大げさな表現は和らげられて、不明な部分は注意深く回避されます。でも不正確なよりはそれでよいのです。
こうして書かれた原稿に編集者がチェックをいれ、逐次チャットなどで「これって本当ですか?」と資料とともに指摘が入ります。明らかな間違いをこうして未然に防ぐことができたことも一度や二度ではありません。
すべての原稿が執筆されて、ゲラができるあたりで、出版社のほうの校正・校閲作業が入ります。技術書の場合はたいてい誤字、表記ゆれが中心で、内容まではあまり深く立ち入りません。
ただし、プログラミング、ネットワーク技術、暗号技術などといった話題の専門書の場合には、非常に細かい専門的な部分に間違いが混入していることがありますので、知り合いに下読みを依頼したりといったこともあります。
ここがなかなかつらいところで、専門家に対して一冊まるごとを詳細に査読してもらうほどの時間も予算もなかなかないことがほとんどなのです。
はじめて技術書を書く人に
はじめて技術に関する入門書を書く仕事をオファーされたひとは、とにかく編集者に質問を繰り返すことがおすすめです。「これでよいのか」「こうした方向性で書くけれどもどう思うか」「ここについて調べてもらえないか」といったようにです。
馬鹿にされるかもしれないなどと見栄をはっている場合ではありません。本が出てしまったら間違いを訂正できない公開処刑になってしまうのですから、すべての間違いはゲラの段階で消してしまうつもりで泥臭く作業をします。
もう一つ大切な点として、書いている対象を絶賛しすぎないように、距離に注意します。たとえばEvernoteについて本を書いているからといって、「Evernoteは唯一無二の最強のツールだ」と書くのが仕事というわけではありません。
少し距離をおいて、全体を含めた構図の中で「こうしたときに便利」「こうしたときに利用しよう」と言葉を選ぶことで、ネガティブなことを一つも書かずに正確に描写ができるようになります。読者はけっこう行間に気づいてくれるので、これは読者を信用するということでもあります。
本が出たら、それは著者の責任
テクニカルな書籍はこのように編集者との二人三脚の場合が多く、まるで名前が出てこない共著者がいるくらいの重みがあります。実際、インプレスなどで仕事をする場合には編集部が連名になることもあるのは、そういうわけなのです。
それでも、いったん書籍がでるとその内容についてはまず第一に著者の責任になります。間違いがある場合には、素直に認めて版が変わる段階で修正できないか情報を蓄積しておきます。
自分の考えや感じ方を表現するエッセイなどとは違って、テクニカルな書籍は常に書かれている対象があります。その対象について虚偽の記述をしてしまうのは、その対象に対しても、読者に対しても二重の過ちになるので、責任重大なのです。
その基本的な責任を果たした上で、どれだけ自分のカラーを載せることができるのかが、こうした書籍原稿の面白さでもあります。
今回の事件は回収という形になってしまいましたが、著者・編集者の旅路はこれでは終わりません。いまはすべてが崩れてしまっているように見えるかもしれませんが、信頼を少しずつ取り戻して(それが無理だとは私は思いません)次のチャンスを生み出すためにも、間違えたあとの対応に勇気をもってあたってくださることに期待しています。
今週の記事
わたしが愛用している macOS / iOS / iPadOS 上のエディタ、Ulyssesのブログでユーザー体験談を掲載したいということで英語のインタビューを受けていました。
内容としては私自身の半生みたいな話になっているのでちょっと恥ずかしいのですが、それがどのように自分の執筆スタイルにつながったのかについても書かれています。英語ですがよろしければ!
ライフハックLiveshow #478「Web ≠ 3」
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では今週はここまで!